
タレントの風見しんごさん(63)は2007年1月、小学5年生だった長女・えみるさん(当時10歳)を交通事故で亡くしました。登校のために自宅を出て100mほど先の横断歩道を渡っているとき、えみるさんは右折してきたトラックに巻き込まれて命を落としました。大型トラックの下敷きになった娘の姿を目の当たりにした風見さん夫妻。言葉にならない悲しみの渦中でも葬儀や裁判などやるべきことは後を絶たず、忙しい日々が続きました。そんな中で、風見さんは自身の気持ちと事務的な手続きをどう折り合いをつけて進めていったのでしょうか。18年間の感情の変化を伺いました。(ライター・小野ヒデコ) 【画像】亡くなる2週間前の長女・えみるさん。テーマパークへ遊びに行き、楽しい毎日を過ごしていました
事故直後の手続きはロボットのように作業していた
――えみるさんの交通事故から18年が経ちました。事故当時を振り返られたとき、ご自身の感情とやるべきことに、どう向き合っていましたか。 交通事故は突然やってくるので、心の準備なんて全くありません。しかもそれが我が子に起こるなど、考えてもいないことでした。事故直後は一日中、事故現場の光景がフラッシュバックして、いなくなったえみるのことを24時間考えていました。 全部の感情がごちゃ混ぜで、亡くなったことを理解していても頭と心がかけ離れていて、ずっと宙に浮いているような感覚でした。仕事で番組の司会を務めているときも、脳みその後ろ半分では、常に長女のことを考えてしまう状態が一年以上続きました。 それでも、様々な手続きがあるわけです。例えば、葬儀の手配や警察とのやり取りなど。それらは淡々とこなしていたと思います。感情が入ってしまうと、前に進めなかったからかもしれません。感情がないロボットのように作業しました。 ――警察とはどのようなやり取りがありましたか? 事故の状況や心情を聞かれました。警察の方は聞かなければいけない立場なので、淡々と進めていた印象です。娘がいなくなり悲しみにくれている中で、遺品の返還があるんです。運ばれてきた段ボール箱から、折れた傘の柄が出ていました。 それを見た途端、目の前に事故現場がフラッシュバックしました。箱の中には、カバーが引きちぎられ、ズタズタになった赤いランドセルもあって。警察署のロビーで妻は人目もはばからず号泣し、ランドセルを直そうとしていました……。 検死を担当した先生には、「娘はすごく痛くて苦しい思いをしたので、もうこれ以上、切ったり貼ったりするのをやめてあげてもらえますか」といった内容を一生懸命に伝えた記憶があります。 親として、これ以上痛々しいことはやめてほしいという気持ちでした。検死の際、娘の亡骸の脇に若い警察官がずっと立っていました。直立不動でしたが、ずっと下を向いていたので、さぞつらいだろうと思ったことをよく覚えています。
一人で戦おうとしている被害者の方に伝えたいこと
< 一週間が過ぎ、一か月が過ぎ、半年が過ぎてと時間がたっていくうちに、死を現実として受け入れざるを得ない状況が生活の中でたびたび襲ってくる。 特に、死亡事故の場合、三カ月経つ頃には、刑事事件も始まり、否応なしに最愛の我が子の死を、改めて目の前に突きつけられ、またあの日のことを一からすべて如実に思い出し、訴えなければならないという、非常にキツく澱んだ時間がずっと、結審まで続く。――風見しんごさん著書『えみるの赤いランドセル』(青志社)より> ――事故当時の大変な中、どのように弁護士を見つけられたのでしょうか? おかげさまでテレビの仕事をしていたので、お付き合いのあるメディアの方々が交通事故関連に詳しい弁護士を探してくださいました。弁護士の先生には、法律上の手続きやその進め方を僕たちが理解するまで親身になって説明いただきました。 様々な感情の中で、やることや手続き、向き合わなければいけないことがたくさんあったので、一人では乗り越えられなかったと思います。 裁判を進める上で、加害者側の状況も聞かないといけません。例えば、事故の時は時速何キロで走行していて、ブレーキを踏んでから停車するまでが何メートルだったかなど。そうした事実確認を何度も聞くんです。 包み隠さず打ち明けますと、心の中では妻も僕もそんな話はどうでもいいと思っていました。それを聞いても、娘は返ってこないから。それよりも、わかってほしいのは「もう二度と(交通事故を)起こすなよ」ということです。 法律にのっとれば罪を償うことができるかもしれない。でも、奪われた命は絶対に返ってこない。加害者の方には、「あなたはあなたの人生を生きてください。でも、失われた命は二度と戻ってこないことだけは、一生忘れないでほしい」と伝えたい。昔も今も、そう思っています。 事故当時、自分に何もツテがなかったらどうなっていたのだろうと思うことがあります。その後調べていくうちに、被害者支援の会があることを知りました。僕の地元の広島でも、交通事故に限らず様々な犯罪に巻き込まれた人を支援する団体があり、今では僕も少しばかり協力をしています。 一人で戦おうとしている人に、こうして助けてくれる団体があることを、声を大にして伝えたいと思っています。
「自分は大丈夫」は、何の根拠もない
――交通事故は絶えることなく、2024年には1日に平均800件前後の事故が起きています。車を運転するドライバーへのメッセージをお願いします。 えみるの事故が起きる前まで、「まさか自分や家族に限って(交通事故にあうことは)ないだろう」との思いが正直ありました。でも、その認識には何の裏付けもなかった。今では僕も運転する際、事故が起こる可能性があることを常に頭の隅に置いています。ドライバーの皆さんには「『自分だけは大丈夫』という気持ちは捨ててください」ということを伝えたいです。 ◇ ◇ ◇ 風見しんご(かざみ・しんご)さんのプロフィール 1962年、広島県生まれ。18歳のときに萩本欽一氏に見出されて芸能界へ入る。ドラマ、バラエティー番組、映画、舞台などで活動し、ブレイクダンスでも注目を集める。1994年に歌手の荒井昌子さん(本名:尚子さん)と結婚。2007年1月に当時小学5年生だった長女・えみるさんが交通事故で他界。その後、命の大切さを伝える講演活動を長年続けている。還暦を機にアメリカへ拠点を移す。著書に『えみるの赤いランドセル』『さくらのとんねる』(いずれも青志社)。 (記事は2025年11月1日時点の情報に基づいています)
加害者の顔は見ない決断をした
――加害者と話されたことはあるのでしょうか。 加害者の方の顔は知りません。見ないという決断をしました。もし見てしまったら、その顔や表情は一生忘れないだろうし、悲しみよりも憎しみを抱いていて生きていくことになるかもしれないと思ったからです。妻とも「相手を憎み続けることを、えみるは喜ぶのかな?」と何度も話し合い、加害者の方とのやり取りは弁護士さんに任せる結論に達しました。 先方からお見舞い金をお渡ししたいという意向をお聞きしましたが、丁重にお断りをしました。もしそういうご意思があるのであれば、ご自身の判断で一番よかれと思うところに寄付してください、と伝えてもらいました。 ――加害者の顔は見ないという判断について、今はどう捉えていますか。 僕たちにとっては、正解だったと思っています。「あのとき、面と向かって思いの丈を伝えればよかった」といった後悔はないです。もちろん、相手の顔を見て言いたいことを言う選択肢もあり、その判断は個々で違います。一つ言えるのは、僕の場合はそれをしてしまうと、自分がどうなってしまうかわからない怖さがあったということです。加害者の顔を見なかった分、感情を少しは抑えることができたのかな、と思っています。 裁判は半年ほどかかりました。相手は控訴をしたので、全体で8カ月ほどの時間だったと思います。裁判の中で、あの地獄のような景色が目の前に現れるんですよ。控訴になるとまた一から裁判が始まるので、再び事故のことを思い出さないといけない。それが1年ほど続いたので、心身ともに非常にヘビーでした。
気持ちを抑える術を身につけた
< 時間は心を癒すどころか、「起こったこと」を、「死」を受け入れなさい、と残酷なまでに現実を突きつけてきた。 悲しみ、憎しみ、後悔、恐怖。事故の後、僕は次々と襲って来る出口の見えない感情に混乱して、心のバランスを失った。――風見しんごさん著書『さくらのとんねる』(青志社)より> ――事故から今に至るまでの感情の変化を教えていただけますか。 事故直後は自分の感情がわかりませんでした。悲しいのか、怒りなのか、後悔なのか……。現実と心が乖離していました。心の中では泣いている自分と、その一方で、進めなきゃいけない物事を淡々としていくもう一人の自分もいて、自分の中に2人の人間がいる感じでしたね。 突然フラッシュバックに襲われ、体中が震えるぐらい悲しくなって、涙がどわっと止まらなくなって。最初は「どうしよう」と思っていたんですけど、ある時期から、「これはもうしょうがない」と思うようにしました。この気持ちは一生付き合っていくしかないから、涙がこぼれる度に動じるのはもうやめようって。 長い時間がかかりましたが、徐々に自分の気持ちがわかるようになっていきました。でも、悲しみは全然減らないです。ただ、その悲しみにどう向き合ったらいいか、僕の場合は長い年月をかけて気持ちを抑える術を、自分自身に教えていっていったような気がします。 ――8年前に出版されたご著書『さくらのとんねる』の中で、「悲しみの中には、一生越えることのできない悲しみもあるのではないか 」と書かれていました。その考えは今も変わらないでしょうか。 変わらないですね。今でも道を歩いているときやウェイトトレーニングをしているときなどで突然、えみるのことがふっと脳裏をよぎって、わっと涙が出てくることもあります。こうしたことが18年経った今でも時折あります。 周りの人は僕のことを励まそうと思って、「一日でも早く笑顔になってね」「この悲しみを乗り越えてくださいね」といった言葉を投げかけてくれました。皆さんの優しさを心から感じているのですが、ある時期から僕は乗り越えるのをやめました。乗り越えようと思ったら、悲しみの上にさらに一つエネルギーが必要になります。しかもそれはとてつもなく高い壁で、どうやって登るのかわからない。 繰り返し考える中で、“乗り越える方法”は1つしかないって思い始めたんです。それは、えみるが返ってくること。でも、それは不可能なんです。だったら乗り越えることをしなくていいじゃないか、という思いに至りました。そしたら少し肩の荷がおりたような気がします。 <超えようとして、もがいてもがいて、それでも超えられないと、悲しみはもっと辛いものに代わる気がする。越えられないと覚悟したとき、逆に前向きになれるということもあると思う。――風見しんごさん著書『さくらのとんねる』(青志社)より>
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